青い三角形部屋

「この異端者よ!」

芸術点最高の百合漫画 内田善美「ひぐらしの森」

映画「ペルソナ」冒頭7分間を形容する言葉「映像詩」を借りて、「ひぐらしの森」を「コマ詩」と言いたい。 コマ内は表現力に満ちて心象の記号と化し、コマ構成は格子柄のような無機質の極まりの構造からいかにも少女漫画らしい重層的構造まで、尋常でないメリハリを見せる。 心象の記号を織り込んだ構成の抑揚頓挫は詩的ではないだろうか。

それなのにバスケットボールのシーンのいくつかのコマ以外は全部四角いと考えると、 コマ使いの凄さに吃驚してならないのだが、同時に四角いコマという外見上の冷静さと表現上の波打ちとの対照は、まさに主人公そのものである。 世界が違いすぎるクラスの二人志生野と沙羅は、一夏別荘で一緒に過ごして心を互いに開いていくのを、委員で落ち着いていそうな主人公志生野が回想する話で、 ずっと最初から沙羅に惹かれ揺さぶられていたが「誘惑」を拒否し自分を抑え続けて平静を保つ主人公なのである。 志生野の回想だからこそ、その気質を形にした表現かも知れない。 意識の内語をを軸にシーンを段落感少なく切り替えるのも回想らしくて、現実の物事の変化でなく志生野の心境の変化に基づいて話が構成されたように感じた。

志生野に怒って頻繁に遅刻するようになった沙羅に、志生野が話しかけるシーンである。 極めて単調的な格子状のレイアウトで、会話の掛け合いをうまく表現できたのは、 誰もが気づいているかと思うが、沙羅がコマの中でずっと同じポジションで同じ姿勢でいるのに対し、志生野のコマは多様な構図で描かれていることだ。 それでも一人の人物、背景のトーン、吹き出し、このたった3つの要素による構図がこんなに豊かな表現をできるかを教えてくれる2ページである。

まず一番に、すこし堅苦しいもののまだ平静な心境を表している縞模様の背景に、まだ向き合うのを怯えているというように、片目を隠されて志生野の顔が描かれている。 続いて驚きと動揺を表現する背景の上に、隠れてた右目が少し姿を見せるーー誠実な心配の吐露をきっかけに対話が始まる。 そして安心する志生野の位置もコマの左下に落ち着き、放射線状のトーンも滑らかな模様に溶けていく。 この後横顔になったり顔をそらしたりする演技に当たる部分はさておき、ショットの種類をみると、 (志生野のコマの)6番目は熱くなって失言した自分が我に戻ったかのようなミディアムショットで、最後に読者とともに沙羅の複雑な事情に翻弄され、 完全な闇(真っ黒のトーン)に引き込まれている主観的なクローズアップが描かれている。 そして、4、6、7番目の吹き出しは志生野の驚きや動揺によって、人物の左側に設置されているのも1つのポイントである。

もっと自然で「普通」な1ページがここにある。ただよく個々の構図を吟味するとやはり各々明確な演出意図を込められていることがわかる。 その中特筆したいのは、2番目から3番目のコマで、キャラクタはそんなに動いていないはずなのに、視点を右下へ下げることで、沙羅のウキウキな気持ちを鮮明に表現した。 映像でだと絶対こんなに自然に視点を移動を利用できないであろう。 (むしろここは視点がこんな風に移動しない固定観念から、相対的にキャラクタが動いたと読者に錯覚させたのではないか)

その構図力が四角いコマから開放された時にはさらに異彩を放つ。 志生野が沙羅の別荘に訪れ、初対面の沙羅の従兄弟たちに歓迎される場面である。 一番上は四人と相対する説明的なコマだが、「溝」ならぬ一本の線を採用することで、 華やかな姿たちがその現実的なシーンから志生野の心の中に、スムーズに流れてくる。 そんな連続した構図だが、左下のコマは交わる四人の絵と対照にぽつんと置かれている、閉ざされた心のように。

そしてこのページ、特に上記みたいな巧妙な表現ではないが、 ただただ人体、布の描線で描き出した動勢と、 その動勢が視線の動きと合致して腕を広げる沙羅の、志生野も読者もを魅惑し吸い込もうとする表現は、圧倒的だ。

これ以上に感心したところを最後に紹介したい。 冒頭で、中学の卒業日と高校の入学日にまだ名前も知らぬ沙羅を見かけて密かに惹かれた志生野が 初めて教室に入り、沙羅が一緒のクラスにいることを知った時の描写である。

力入れて細密に描いた沙羅の美しさを、二重線が額縁のように働き一層強調し、志生野の目に刻み込んだのである。 「絵のような美しい人」という比喩表現をこうも簡単に成し遂げる方法は他にあろうか。 さらに絶妙なのは、3つのモノローグ「どうしよう」の間に配置されたこの2つの絵は、 まさに志生野の中から見た沙羅の印象であり、「美しい」という印象を表す「単語」と化したように感じた。 マクラウドは Understanding comics で、絵と文字の間にある記号性の軸を論じた。 それはあくまでも見た目上の写実性と抽象性を基準にしているように見えるが、 ここはむしろ心理的に、同一化で美しいという印象を読者にも感じさせ、純粋の絵に二重線で印象を単語に包装し、文字のモノローグに織り込むのだーー 「……どうしよう…」「あの人が…」「どうしよう」「あの美しい人が…!」「どうしよう」と、言わんばかりに!

そして話の終盤に、同じようにずっと前から自分に惚れた沙羅を拒み続けたのが自分と悟る志生野の回想にも、二重線のコマがあった。

1つ目も2つ目も志生野視点だが、2つ目の沙羅の視線になぞって3つ目に目を移すと、そこにあるのは志生野であった。

あ…沙羅の目にもまた志生野が絵のように刻み込まれたんだ。